分銅富士 太田醤油製造 コンプラ瓶 富士山 輸出用 レトロ 波佐見 /SN
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商品説明



















明治時代にオランダなどに醤油を輸出する際に使われたコンプラ瓶に似ています。実際の用途の詳細は不明です製造された年代は、向かって右の丸みのある瓶は明治41年以降と思われます(推測の理由は文末に記しておきます)。中に木栓が入っており、振ると音がします。もう片方は時代は特定出来ませんでした。富士山だけでなく、緑色を使って松林らしき風景が描かれています。古いものなので多少のスレや汚れはありますが、目立ったヒビや欠けはありません。\r商品の細かな状態やサイズ感は写真にてご確認下さい。\rプロフィール欄の内容もご一読・ご了承下さい。ご購入をお待ちしております。年代推測の根拠:「商標」と書かれた下に「富士」とロゴの様に書いてあるので詳しく調べたところ、右側の丸みのある瓶のロゴは明治41年に「太田醤油造合資会社」が登録申請をしたものだと分かりました(1)。「分銅富士」という醤油を作っていたようなので、ロゴの名前も分銅富士かもしれません(1.5)。元となる醤油醸造所は明治11年6月に、実業家として活動していた吉田健三氏らによって開設されました(2)。吉田がその11年後に病死後、関係者により醸造業は続けられ明治35年に太田醤油製造合資会社として合資会社化されました。吉田健三は生前、自由民権的な志を共にしていた友人の竹内綱が投獄される前後で、竹内の妾が身籠っていた子供を養子として迎える約束をし、吉田は約束通り明治11年に誕生したその男児を引き取り養子しました。それが後の総理大臣吉田茂になります。吉田健三が死亡した際に、吉田茂は11歳で全財産を相続しました。その関係か、明治35年の合資会社化をした際には、無限責任者1名、有限責任者2名のうちの有限責任者1名が吉田茂となっています(3)。参考文献(全て国立国会図書館デジタルコレクション上でのページ数・コマ表記になります)(1)『日本登録商標大全 第三輯』(東京書院、明治44年)、119コマ目(第四十一類の4ページ目)(1.5)『醤油と味噌 4(11)(45) 』(木下醸造研究所 、1935年)、36コマ目(2) 日比野重朗編『横浜社会語彙』(横浜通信社、大正6年)542コマ目(3) 大倉商印刷局編『官報 1902年11月14日』(日本マイクロ写真、明治35年)、292頁
| カテゴリー: | ホビー・楽器・アート>>>工芸品>>>陶芸 |
|---|---|
| 商品の状態: | 目立った傷や汚れなし","細かな使用感・傷・汚れはあるが、目立たない |
| 配送料の負担: | 送料込み(出品者負担) |
| 配送の方法: | 佐川急便/日本郵便 |
| 発送元の地域: | 東京都 |
| 発送までの日数: | 2~3日で発送 |
お店の情報
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